いきなり太宰治の『人間失格』のようなタイトルで申し訳ない(笑)
どうやらまた一つ歳を重ねることとなってしまいました。
庚子の年である今年は残念ながら世界的な疫病であるコロナウィルス蔓延でお出掛け自主規制ムード満載のゴールデンウィークとなっておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
自宅で一人四柱推命の自分の命式図を眺めながら半生を思い返しちゃったりなんかしておりました。
日々忙しいなか、なかなか今までの自分の人生についてゆっくり振り返って見る時間なんてあまりとれないなかで、何処にも出掛けず部屋に一人、ゆっくりと自分の歩んだ半生を振り返る良い機会だなって思いました。
で、実際自分の大運表を作成して過去を振り返って見てましたけど、まぁ、随分恥ずかしい事を随分やって来たなぁなんて思っちゃいます✨
人生振り返ってみると
子供の頃からあまり周りの環境に馴染めず、友達は少数で深く付き合うつきあい方をしていて、病気や怪我も多かった子供時代。大人の汚い諸行がもろに見えてしまう子供で、人生にあきらめを感じながらのスタートの子供時代でした。
画像は私の命式図の一部ですが、親子の縁は薄くあまり援助が望めないと言ったような象意が出てますけど、まぁ確かに当たってる所は多かったかなと。
結婚して、大きな曲がり角で離婚をし、子供とは離れてしまうことになったり。
再婚出来るかなと思って、お付き合いした方に大いに裏切られ知人だった男性二人で、グルになってはめられ社会的地位すら危うい状況になったり(笑)
勤めてた会社がいきなり夜逃げ同然な感じで倒産したり
運もこれで尽きたな。
って思ったとき、そんなかでも助けてくれる方が現れて、一時的に支えになってくれたりと。
人生色々とあって、今に至ります。随分大人気ないこともやってきたし、謝って仲直りせず(というか出来ず)そのままになった人たちも居ます。
今思えば随分申し訳ない事してきたなって、思うこともあり、やはり恥ずかしい人生を歩んで来ましたって、思ってしまうのでした。
最近思ったことは、なぜもっと早くにこういう運命学というものに出会えなかったんだろうと、思ったりもしまっした。
ですがそれは、こういう実体験としての出来事を経験しないと、自身の運命の道筋を標した推命学など信じられなかった(もしくは検証することすらしなかった)からだろうと思うのです。
お陰様で、たくさんの方々を鑑定で視させて頂く機会をえて、運命学の読みときの技術が上がり、改めて気づくことは、自分は衰運が人生前半で、後半はその逆であるってこと。
そういえば昔、かかり付けの小児科医の先生が、こんな事言った事を思い出しました。
私がまだ5歳だった頃その先生は、うちの婆ちゃんに『この子の将来はきっと社長さんだ』と言ったのだが、それから婆ちゃんは、亡くなるまで事あることによくその事を口にしていました。(その兆候はいまもないけどねw)
今思うとその小児科の先生、四柱推命や算命学などの推命学の占いが出来る方だったのではないだろうかと思う。
だってね、私の時中の十二運には帝旺があり、そうなっていく予定だから(笑)
人生恥は多いけど、それはそれで良いじゃないかって思う。何事も経験。その恥を笑うヤツこそ、恥を知れってね。
この後の人生が、自分にとって全て僥倖なものとなって、自分にとって大切な人たちも幸せにしていけるようなそんな人生を歩んで行きたい。そう思いました。
趨吉避凶(すうきち ひきょう)
※凶を避け続けてこそ吉が赴くという意味
運命学というのは本当に奥が深く深淵が広がっており、人生もまた深く、無駄な事は一切なし。
今日は
5月3日 丙午 比和の日、
神吉日、大明日、ははくら日、土用間日、
満の日 吉日。
今日も皆様にとって一日素晴らしい日でありますように。
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