後日談
「すべては一つに繋がっている」——いわゆる「ワンネス」という概念を耳にしたとき、あなたはどう感じるだろうか。
大いなる安心感に包まれる人もいるだろう。無条件の愛や、宇宙との一体感を想像して、美しいものだと捉える人が大半かもしれない。
しかし、正直に告白しよう。僕の最初の感情は、強烈な「気持ち悪さ」だった。
それは、ある深夜のコインランドリーでのことだ。
無機質な乾燥機の回る音を聞きながら、ふと「自分と他者の境界線が溶け合うこと」を想像してしまったのだ。アニメ『エヴァンゲリオン』に登場するLCLの海のように、すべての人間がドロドロに溶け合い、個性を失って一つの巨大なスープになってしまう光景。
想像しただけで、背筋にゾワリとした生理的な拒絶感が走った。
僕は僕でありたい。
誰かの感情や思考と混ざり合って、真っ白で完璧な「一つ」になんて、なりたくない。僕にとって「他者」とは、時には面倒で、時には毒のようにもなるけれど、だからこそ自分の「聖域」を際立たせてくれる存在なのだ。
そんな、ある種の「個への執着」と、溶け合うことへの強い警戒心を抱えたまま……僕は翌日、ある場所へ向かっていた。
たま出版のサロンで開催された、寺島宮司の講演である。
スーツにネクタイ姿の、どこか威厳と誠実さを漂わせるその宮司は、かつて市の職員だった時代に、極限の精神状態の中で壮絶な神秘体験をしたのだという。

NLP(神経言語プログラミング)の催眠中に、突然身体から抜け出し、猛スピードで宇宙へと飛び出した彼。光に包まれたその空間で、生者も死者も、これから出会う人々も、すべてが同時に存在しているのを見たというのだ。次の内容は寺島宮司の体験談をざっくりと書きだしたものだ。
まさに究極の「ワンネス」である。
だが、その至福の空間に、突如として信じられない人物が姿を現した。
当時の職場で、彼が最も嫌悪していた「天敵」とも言える上司だった。
なぜ、こんな完璧で幸せな空間に、よりによってあいつが居るんだ——?
訝しげにその天敵の顔を覗き込んだ宮司は、次の瞬間、とんでもない事実に気がつくことになる。
最も憎んだその上司の顔は……他でもない、「自分自身」だったのだ。
なぜ、僕たちは「分離」した世界を生きているのか。
なぜ、交じり合わない「嫌なヤツ」が存在するのか。
れは、溶け合うことを「気持ち悪い」と拒絶した僕が、異端の宮司の体験談を通して「僕という境界線」の本当の美しさに気づくまで——そして、このバラバラな世界が「虹色」に輝いて見えるようになるまでの、少し不思議で、とても大切な記録である。
■ 第1章 極限状態での「境界線崩壊」と、現れた天敵
寺島宮司は当時、市役所の職員という極めて堅実で現実的な世界に生きていた。しかし、心身のバランスを大きく崩し、いわゆる「心が病んだ」状態に陥っていたという。
そんな彼が参加したNLP(神経言語プログラミング)のプログラム。催眠状態に入った彼の意識は、突如として肉体を抜け出し、ものすごいスピードで宇宙の彼方へと飛び出していった。
たどり着いたのは、まばゆい光に包まれた空間。
そこには、生きている人も、すでに亡くなった人も、これから出会うであろう人も、すべての存在が同時に在った。圧倒的な全能感と至福。
だが、その完璧な空間に、突如として異物が混入する。
当時の職場で、彼が最も嫌悪し、忌み嫌っていた「天敵」とも言える上司だった。
「なんだそりゃ? なぜ、こんな幸せな空間に、よりによってあいつがいるんだ?」
訝しげにその天敵の顔を覗き込んだ宮司は、息を呑んだ。
その憎き上司の顔は、他でもない「自分自身」だったのだ。
彼は悟ることになる。
最も嫌なヤツも、結局は自分の一部。自分自身がこの世界を創り出しているのだ、と。
彼はその体験をもって、憎しみや対立を手放し、すべてと溶け合う「ワンネス」の境地へと至った。そして後に、神職の道へと進むことになる。
これは、ある種の究極の救いの物語だ。
だが、その話を聞きながら、僕の心の中には全く別のベクトルの感情が渦巻いていた。
■ 第2章 拒絶しなかったから「毒」されたのではないか
「嫌なヤツも、自分の投影である」
スピリチュアルな界隈では耳にタコができるほど語られるセオリーだ。「こうなりたくない」と強く恐れる気持ちが、結果としてその現実を引き寄せてしまう。
確かに、それも一つの真理だろう。
しかし、僕はもっと生々しい、人間としての「防御本能」の視点からこの現象を捉えていた。
なぜ、宮司の完璧な宇宙に「天敵」が現れたのか?
それは宮司の心が病み、弱り果てていたからではないか。
心が弱っている時というのは、例えるなら「自分」と「他者」を隔てる心の境界線(アニメでいうところエヴァのATフィールドみたいなもの)がボロボロになり、穴が開いている状態だ。
運命学を研究する僕が思うに、僕たちは常に他者からの影響に晒されて生きている。
嫌な相手が目の前にいた時、「これは僕ではない」「ここから先へは立ち入らせない」と明確に拒絶し、シャッターを下ろすことができなければどうなるか。
相手の持つ悪意や負のエネルギー——いわば「毒」が、境界線の綻びからドロドロと自分の内側へと流れ込んでくる。
宮司は、強烈な毒(上司)に晒され続けた結果、境界線が崩壊し、自分の内側と外側の区別がつかなくなってしまったのではないか。「相手」と「自分」が混ざり合い、同化してしまった結果が、「上司=自分」という映像だったのではないか。
日本の神道には「穢れ(けがれ)」を払い、「禊(みそぎ)」をするという概念がある。
それは決して排他的なものではなく、自分という「個の純度」を清らかに保つための、美しくも力強い防衛術だ。
「嫌なものは嫌だ」と拒絶すること。
それは心の狭さなどではなく、毒に染まらないための、魂の健やかなセンサーなのだ。
僕がコインランドリーで感じた「溶け合うことへの気持ち悪さ」。
それは、何でもかんでも受け入れて自分を見失うことへの、強烈な魂の抵抗だったと、この時ようやく腑に落ちた気がするのだ。
■ 第3章 ワンネスの先にある「分離」という名のギフト
宮司のお話は、僕が危惧していたような「個の否定」では終わらなかった。
彼は静かに、けれど明確にこう付け加えたのだ。
「ワンネスを体験することは、決して人生のゴールではありません。そして、誰もが必ず体験しなくてはならないものでもないのです」
世の中のスピリチュアルな教えの中には、あたかもワンネスを体験することだけが「悟り」であり、それ以外の生き方は未熟であるかのように説くものもある。けれど、宮司は違った。その「向こう側」を見て、すべてが溶け合う至福を知った上で、彼は今のこの世界をこう肯定した。
「一度ワンネスを体験して戻ってきたからこそ、今、こうして『分離』していることが、いかに素晴らしいかが理解できたのです」
この言葉に、僕は救われるような思いがした。
すべてが一つで、境界線のない真っ白な世界。そこは究極の安らぎかもしれないが、同時に「対話」の存在しない、あまりに静かすぎる世界だ。
僕たちは、わざわざ「分離」という不自由な形を選んで、この地上に生まれてきた。
それは、自分とは違う「あなた」という存在と出会い、驚き、時にぶつかり、語り合うため。
「あなた」という他者がいてくれるからこそ、僕という存在の輪郭が浮かび上がり、そこに物語が生まれる。
宮司の言う通りだ。分離しているからこそ、この世界はこれほどまでに美しく、彩りに満ちている。
■ 終章 虹色のまま、この世界を遊び尽くす
対談を終えて会場を出たとき、僕の心の中を支配していたあの「気持ち悪さ」は、跡形もなく消え去っていた。
代わりに広がっていたのは、驚くほど鮮やかで清々しい景色だ。
今の僕の心は、何色か。
そう問われれば、僕は迷わず「虹色だ」と答えるだろう。
一色に溶け合ってしまう「白」ではない。
毒に侵された「黒」でもない。
自分の聖域を守り抜きながら、同時に外の世界から受け取った光をプリズムのように透過させ、多種多様な色が隣り合って輝いている。そんな虹色の輝きだ。
嫌なヤツが自分の投影だったとしても、あるいは外からの毒だったとしても、もう構わない。
僕は僕の境界線を大切に抱えたまま、入ってくる光をすべて「自分の色」へと変換していけばいいのだから。
いずれ、僕たちの命は尽き、身体は土へ帰り、魂はあのワンネスの光の中へと還っていくのだろう。
それは避けられない運命であり、同時に究極の安心でもある。
けれど、それは「今」ではない。
光に還るその日までは、この「分離」という素晴らしいギフトを、存分に謳歌しようと思う。
自分とは違う「誰か」と出会い、虹色の個性を響かせ合いながら、このバラバラで、不自由で、最高に愛おしい世界を、大いに楽しんでいこう。
僕という輪郭を、精一杯、輝かせながら。
コメント